邪悪道

「攻略記」に関してはネタバレを含み、「攻略」になっていません…
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エアジャムと僕

仕事が早々に片付いて暇で仕方ありません。

 

2016年 初の九州でのエアジャム開催という事でエアジャムの思い出でも綴り、定時までの時間を過ごしたいと思います。

 

なんせ、昔の話ではありますので記憶も定かではないです。

 

当時を知るオッサンの暇つぶしの回顧録です。

 

 

 

「AIR JAM

 

当時、97.98.2000と開催された。

 

俺が参加したのは98と2000。

 

(色々と思い出す為にちゃんと調べた)

 

・AIR JAM98 豊洲ベイサイドスクエア

 

<STAGE1>

・COCOBAT

・RUDE BONES

・COKEHEAD HIPSTERS

・THUMB

・BACKDROP BOMB

・HUSKING BEE

・SUPER STUPID

・Hi-STANDARD

<STAGE2>

・YELLOW MACHINEGUN

・URBAN TERROR

・ABNORMALS

・REACH

・GARLIC BOYS

・SCAFULL KING

・BRAHMAN

 

すっかりお台場に行ったと記憶を捏造していたが、97がお台場、98は正確には豊洲だったらしい。

 

田舎で過ごしていた。娯楽もなく、夜に遊ぶ所もない。暇つぶしにと友人と始めたスケートボード。

 

夜の駐車場、市民会館、スケートをしてると自然に柄の悪い奴らが集まるようになっていた。

 

聴く音楽もNOFXやオフスプリングなどのメロコア、HIPHOP。

 

そして、自然とハイスタに出会った。聴いた瞬間に夢中になった。

 

そして98年のエアジャムに参加。

 

友人6名ぐらいで行った。(うろおぼえ)

 

とにかく楽しかった記憶だけしかない。つか、98の事はあんま覚えてないwww

 

密かに一番覚えている事。

 

最後のハイスタの前「トイレ行ってくるから待ってて」と友人達と別れ、一旦トイレに。

 

トイレから戻るとそこに友人達の姿はない。

 

「はは〜ん、裏切りやがったな」

 

最前ブロックに行ってしまったのだろう・・・・

 

そうこうしてるとハイスタが始まり、仕方なくその辺のピット入って知らない奴らと盛り上がってたけどね。

 

密かにね、さみしかったのですよ、僕は。

 

 

 

そして2000年、2年ぶりにエアジャム開催。

 

チケット争奪戦。

 

「チケット取れた」と連絡受けた時、職場のトイレでガッツポーズした。

 

1週間前ぐらいから楽しみすぎて居ても立ってもいられない。

 

当時、金融機関で働いていた為に髪を染める事もできず(坊主にはしてたけど)

 

仕方なく「スネ毛」を赤く染めた。赤く染めたスネ毛は単に「ケガして血だらけの人」のようにしかならず、翌日に青く染め直した。

 

まー、青く染めたスネ毛は「具合悪い人」にしか見えなかったんだけどね。

 

その頭髪用の染料が余り、皮膚に触れるとしばらく落ちない事を逆に利用しボディペイントを施した。

 

ピザのロゴをカッティングして足に書いたりね。

 

若かった。

 

・AIR JAM2000 千葉マリンスタジアム

 

<AIR STAGE>

・BACKDROP BOMB

・THE SKA FLAMES

・MASTER LOW 01

・SHAKKAZOMBIE

・MAD3

・MOGA THE ¥5

・BRAHMAN

・WRENCH

・Hi-STANDARD

<JAM STAGE>

・ABNORMALS

・THE MAD CAPSULE MARKETS

・bloodthisty butchers

・喜納昌吉

・SCAFULL KING

・鉄アレイ

・COCOBAT

・the原爆オナニーズ

・HUSKING BEE

 

友人6名、友人の妹とその友人2名(うろおぼえ)で参加。

 

気合いが入りまくっていた俺達は、徹夜でスタジアムに並んだ。

 

物販に命を懸けた。

 

アリーナの入り口に一番近いスタンド席も確保できた。

 

そのスタンド席にビニールテープべたべたに貼ってスタッフに怒られたのは内緒。

 

初のスタジアムでの大規模フェス。会場内では様々な問題が発生していた。

 

とにかく、人の流れが滞る。スタンド席からアリーナに降りる入口は狭く、一方通行。

 

物販もバンド毎の売り場が違い、わかりずらくすべてが長蛇の列。

 

会場内の「飲料」が枯れた。飲み物が売り切れ、水分補給ができない。フードでのわずかな水分やトイレの水をすするしかなかった。よく死ななかったなーと思う。

 

当時、「フェス」なんてほぼなく、そんな時代にハイスタが用意してくれた祭りをひたすら楽しんだ。

 

しかし、そんな楽しい1日が地獄絵図と化していく。

 

エアジャム唯一の汚点とされるブラフマンでの暴動。

 

アリーナ入口に一番近いスタンド席を確保していた俺達は、その暴動の爆心地にいた。

 

前述したようにアリーナの入り口は狭く、1か所しかなく、一方通行。

 

ブラフマンに興味のなかった俺はスタンド席で寝ていた。

 

ちょいちょい足で色んなとこ踏まれる。何事かと起きてみるとアリーナに入りたい人達でスタンド席が溢れかえっていた。

 

アリーナへの入場規制がかかる。そして、ブラフマンの演奏が始まってしまった。

 

アリーナに入れていない奴らが入口に殺到。血気盛んなパンクスども、球場のフェンスをよじ登り突破する奴らも続出。

 

まー、真っ先にフェンス行ったのは後輩の1人だったけど・・・

 

そして、スタンド席に「人のなだれ」が起きた。

 

そう、一番前の席にいた俺達は数十人の集団の下敷きになった。

 

泣き叫ぶ声、怒号、悲鳴。俺自身も叫んだ。

 

しかし、全く身動きが取れない。数十名が重なり、圧迫され続ける。

 

自分の力でどうにもならない状況、初めて「死ぬ」と思った。

 

死にたくない、なんでこいつらに俺が殺されなければならないのだ、そもそも俺はブラフマン好きじゃねぇ、と、薄れゆく意識の中、そんな事を考えていた。

 

やっと、なだれが解消され体が自由になった時、怒りに任せ周りにいた奴らを無差別にぶん殴ってしまっていた。

 

マジで「ぶっ殺してやる」と思って人を殴っていました、若かったのです、ごめんなさい。

 

「だいじょうぶですか?」と知らん奴に心配された時も、

 

「だいじょうぶな訳ねぇだろうが〜!!」と叫んでいました、若かったのです、ごめんなさい。

 

とりあえず、たいしたケガもなく皆、無事ではあった。

 

そんな暴動、大騒動の中、

 

「開いてないペットボトルいっぱい落ちてたよ」

 

と、お茶やらジュースをちゃっかり確保していた友人にたくましさを感じましたがw

 

 

無事ではあったが、グループに女子もいた為ダメージが大きく、俺達は徹夜で確保したスタンド席を放棄した。

 

全員死にかけ、もはや演奏を楽しむ状況ではなくなってしまっていた。

 

せっかくだからと、スタンド席の一番高い席から最後のハイスタを見る事にした。

 

「よっしゃこい」と始まり、ハイスタが会場全体の嫌な空気を変えていく。

 

しかし、アリーナに入れなかった俺達は、最後の「MOSH UNDER THE RAINBOW」でアリーナ全体に巻き起こるモッシュの輪をスタンド席からさみしく見ているしかなかった。

 

暴動があった事など忘れてしまうような平和な光景であった。

 

この日来ていた3万人ほとんどがそう思っただろう。

 

3万人の中のわずか数人、暴動の爆心地にいてしまった俺達グループはそんな気分にはなれなかった。

 

最後、真っ先にフェンス乗り越えて行った後輩と合流したが、その時は許す事ができなくて最悪な空気になってしまっていた、若かったのです、ごめんなさい。

 

そして、エアジャム2000以降活動を停止したハイスタ。

 

そして、エアジャム2000で苦すぎる経験をしてしまい、俺自身もパンク文化から自然と離れていった。

 

 

とても「いい思い出」とは言う事はできないが、歴史の一部となった非常に貴重な経験はしたと思う。

 

 

まー、現在、またこうしてパンクシーンに帰ってくる事ができてます。

 

先日はライブハウスで、例の真っ先にフェンス乗り越えて行った後輩と偶然再会し抱き合いました。

 

去年にはFATフェスでハイスタとも再会できました。

 

 

また、関東で「エアジャム」開催してくれるならね、当時からの友人とまた参加したいと思っておりますよ。

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- | 09:08 | - | - | pookmark
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